mentalhusbandのブログ

地獄の生活日記

家を追い出されて2日目

昨晩コントロールができなくなった妻は、過呼吸になりカーペットに横たわり、悲鳴をあげていた。背中を摩り声をかけ落ち着かせ様としたが、どこかにいけ!ッと怒鳴り散らし、泣きじゃくっていた。恐らく怒りがコントロールできなくなっていたんだと思った。息子が、ママが出ていけと言っている。パパとりあえず家から出てッと。僕はそのまま家を出た。


途方に暮れ、会社の自分の部屋に入り、自分を落ち着かせた。妻、息子へ大丈夫か?メッセージを送ったが返事がなかった。


20時ごろ妻から突然お金が振り込まれた。僕の家族は全て僕の給与で賄っているが、僕には必要最低限のお金しか振り込まず、それ以外の給与は全て妻の口座に振り込んでいる。恐らく、妻はホテル代の無い僕へお金を送ってきたんだと思った。少し嬉しかったが本当の意図はわからない。


全く返事の無い妻へ再度、翌日の息子の習い事の日程を伝えて、僕が迎えに行き対応する事をメッセージした。もちろん返事は無いが。

同時に息子へも同じメッセージを送った。


翌日息子を迎えに行くと、予定通り息子が家から出てきた。そのまま、娘、妻とは会わず、息子と出発した。


夕方に帰宅、息子をおろし、僕はそのまま家を離れた。


その後息子からメッセージが来た。


“ママが娘を連れて4日後に家を出ると言っている。どこに行くのかも、いつ帰ってくるのかも教えてくれない。パパ、ママが行かない様に説得して!‘ッと。


どう言う経緯か全くわからないが、僕だけでなく息子を家に置いておくと。


僕は息子に言った。


”わかった。ママと話してみる。仮にママと娘がどこかへ行ったとしても、僕がいるから心配するな、僕はいつでも家に戻れる様にしているから、学校のことも、家の事も心配するな!“

ッと伝えた。


その後、妻と話したいッとした思い、慌てて家に向かった。恐らく僕も気が動転していたんだと思う。向かう道中慌ててしまい、信号無視をしてしまった。事故にはならなかったが対向車線の車にクラクションを鳴らされ、慌てて止まった。お巡りさんごめんなさい。


家についてドアを開けようとしたが、中から鍵がかかっており入れなかった。


少しだけ開いたドアの先に妻がいた。


妻が言った、”中に入るにはやめて、子供達がいるから“ッと。


妻が冷静であることだけは確認できたが、そのまま家に入れず、僕は家を離れた。


そして今ホテルに帰り、無力感と子供達への心配で頭が混乱しそう。


突然出ていけと言われ、僕は寝る場所に困り果て、今度は勝手に息子を置いて出て行くっと。


どれだけ周りを振り回せば気が済むのかッと怒りが収まらないが、それ以上に子供達が心配である。

4か月ぶりの投稿、でも何も変わらない(その2)

続きを書く前に、自分の今の心境を書きたい。


僕の右腕には無数の切り傷が刻まれている。これは、妻から罵倒され、苦しくて死にたい、っと思ってしまったときに、腕を切ることで自分を落ち着かせている。妻から言われる事実ではないことに同意し、自分に嘘をつき、何度も頭を下げ、自分自身で自分を否定し続ける行為を妻は何時間にもわたり僕に行わせる。それでも僕は平常心を何とか保とうと体中をコントロールして、妻の前では、理解者の様なふりをしている。そういう夜は、一人になったとき、どうしてもかみ砕けない理不尽や怒り、そして絶望から苦しくなり死にたいっと思ってしまう。何度、首に紐を括り付けたかわからない。それを踏みとどまるために僕は、決まって腕を切って、痛みで自分を沈めているのかもしれない。


傷だらけの僕の腕を見た妻は、”お前は病気だ。カウンセラーと話して何とかしろ、じゃないとこっちが迷惑する。私は何もしていない。お前が勝手に病気になり、腕を切っている。そして仕事のストレスを家庭に持ち込み、家族を不幸にしているのだから”っと言われる。


そうではないと何度言っても、妻は聞き入れない。


そして、みっともない腕を人に見られては恥ずかしいから、もう腕を切ることはやめろ、っと言われた。


正直、離婚、別居、どうでも良い。。。自分に素直に生きたい。でも家族と一緒にいるためには、素直に生きることができない。。。でももうどうでもいいっと思っている。アメリカに帰国してから、何度と離婚したい、っと脅されたが、正直何も感じなかった。


アメリカに帰国してから、ほぼ毎日の様に妻は怒り狂った。主矛先は僕、そして時折息子に向けられていた。


これら妻が怒り狂ったスケジュール(8月末から現在まで):
9月9日に息子にイライラし、キレる。
9月10日に息子にイライラし、キレる。
9月11日に僕にイライラし、爆発、理不尽、キレる。
9月13日 僕を完全無視。
9月14日、僕と息子にキレる。
9月18日息子にキレる、そして怒りが収まらず僕にもキレる。
9月19日‐23日は、僕が仕事で忙しく、ほとんど顔を合わせていないが、会えば、文句を言い、何か要求してくる。また、息子には毎日キレていた。。
9月24日キレていないが、文句ばかり。
9月27日キレる。文句が何時間にも続いた。
9月29日ブチギレ。言い返すことをまったく許さない。怒り狂う。
10月1日ブチギレ。言い返すことをまったく許さない。怒り狂う。
10月2日ブチギレ。言い返すことをまったく許さない。怒り狂う。
10月3日‐7日仕事が忙しく、ほとんど顔を合わせていない
10月8日ブチギレ。言い返すことをまったく許さない。怒り狂う。
10月9日ブチギレ。言い返すことをまったく許さない。怒り狂う。
10月10日ブチギレ。言い返すことをまったく許さない。怒り狂う。
10月12日ブチギレ。言い返すことをまったく許さない。怒りとストレスで体調不良になる。
10月13日ブチギレ。言い返すことをまったく許さない。怒りとストレスで体調不良になる。
10月14日怒りがマックスになり、過呼吸に。そして僕は家を追い出された。。


実は毎日の様子についてメモをしている。


どのような事で、怒り狂い、僕が追い出されることになったのか、これは、いつもの事なので過去の記事を見ていただければ、同じような内容がいくらでもでてくるため、あまり細かくは書かないが、


例えば、
妻が体調不良になっていた前日、僕は仕事が終わり23時頃帰宅した。テーブルに置いてあった食事を済ませ、食器を洗い、僕が担当のごみ捨てを行い、リビングとキッチンを軽くかたずけて、そのまま風呂に入り就寝した。もちろん、家族はすでに寝ていた。
翌朝起きてくると、食器洗浄機の中の食器を僕が昨晩片付けなかったことに怒り狂っていた。以前、僕が片付けた際、勝手にかたずけるな、どうして勝手なことをするんだ、キッチンは触るなといっただろ!っと怒り狂ったことを思い出し、僕は片づけを行わなかった。でもその日は、かたずけるが正解だったようだ。僕は素直に謝った。
そして、翌日、体調の悪い妻は早くに就寝し、僕は子供たちを寝かせ、そのあとで、言われた通りに、食器洗浄機の中を今回はっと思いかたずけた。
すると妻が起きてきた、開口一番、何でかたずけているんだ!今回はわざとらしく片付けている、気持ちが悪い、キッチンは何もするなといつも言っているだろう!なんで人の言ったことを覚えていないっと言われた。。。。。。もう何が何だかわからない。。。理不尽だ。


今日帰国から約1.5か月、家を追い出された。
実は僕はもう何を言われても何も感じなくなっていた。今日も朝から、怒りと文句を何時間にもわたりぶつけられた。。悪いのはお前だ、どうして同じミスを何度も繰り返すのか?お前は家族を見ていない、ふざけるな!っと言われた。


今日は言い返した。
”僕は、君の話をちゃんと聞いている。間違いを犯したなら謝るし、気に入らないことがあれば、直したい。でも、これまでも何度もその期待に応えようと、考え、実行してきた。でも何も状況は解決していない。これからも努力はするが、君が思うミスや問題を僕が解決できるとは約束できない。”


”なぜならば、君は僕の事を何もわかっていない。僕が何を言っても、それは違うと否定しかしない、否定をした後で、僕の気持ち、考えらわからない、何も言わないっという。それは違う、僕はきちんと自分の気持ちを伝えている。それを聞き入れていないだけだ。そして、君は僕が努力をしていることをまったく見ないで、ただ自分が気に入らないだけだ”


”君のストレスは、君が思い通りにならないことを僕のせいにしているだけ、だから問題は解決しない。僕はこれからも問題に向き合い、努力したい、でも君が僕を信じていないし、どうせお前はだめだっと思っているだけだ”


言ってしまった。。。


そのあとは、妻は、私を理解し、安心させてくれるのは自分の両親だけだっと泣きじゃくり、もう家を出ていくと、荷物をまとめ始めた。僕は止めなかった。息子が止める様に何度も僕に迫ってきたが、止められなかった。
でも妻は結局何もできない。このアメリカという場所から、自分自らの力で、飛行機を手配し、帰ることなどできないのだ。案の定、荷物をまとめ、家のガレージに出た瞬間、座り込み、泣きじゃくり、さらに僕を罵倒した。僕は心配になり、こえをかけに行ったが、私の前から消えろ!っと言った。僕は何も言わず立ち去った。そして、そのまま二階に上がり、さらに泣きじゃくり、過呼吸になった。僕はもう一度近づいて声をかけたが、家から出ていけ!っと。


僕は言われるがままに荷物をまとめ、車で家を出た。。


正直もうどうでもいいと思っている。。


自分の気分だけで、息子をお前はいらないっと罵倒する。
自分の気分だけで、僕を家から追い出す。


これはアメリカでは、警察に報告すれば、虐待で妻が逮捕される話である。

4か月ぶりの投稿、でも何も変わらない(その1)

6月に最後の記事を書いてから、4か月が過ぎた。。
この4か月本当にいろいろなことがあり、記事を書くことを忘れていた。今日久しぶりに記事を振り返り、これまでの4か月の激闘について書きたいと思う。


その前に、現在の状況としては、何も変わっていないことを記録しておきたい。


僕と家族は今アメリカに住んでいる、そして、6月末に子供たちの夏休みのため、妻と子供2人は8月末まで自宅のある日本へ帰ることになった。僕は、6月に2週間と8月にもう一度2週間の期間だけ一緒に日本で過ごした。


6月末まで、妻の不安定に悩まされそのまま帰国したせいか、一緒に日本で過ごした2週間は、妻はとても不安定であり、常に怒り、泣き、すべては僕が悪いと相変わらずの状態であった。そして、妻が不安定になっているもう一つの理由として、妻の実家の両親とこの1年間喧嘩をしており絶交状態、その両親が日本にいる間に、会いたいと言ってきていることで情緒不安定になり、怒り狂っていたのだ。それをただただ僕にぶちまけていた。
僕が滞在していた最初の2週間は、妻は両親とは会わなかった。


ただただひたすら耐える日々だった。そして毎日同じ空間にいるため、何度となく、顔面が痙攣していた。


僕がアメリカに帰国する日、出発間際に、妻がいきなり息子に怒り出した。理由は些細なこと、子供として当たり前のわがままだったが、妻には絶対許せない、僕に言わせると理不尽だったとしか言いようがなかった。妻は言った。もうこんな息子は私の子供じゃない、いらない、お前はパパと一緒にアメリカに帰れ!娘はいい子だから、このまま日本に残らせるっと。
そして、怒り狂った妻は僕に今からフライトをすぐに手配しろ、しなければ私がやるっと怒り狂ってきた。出発の30分前だった。息子はパパと一緒にアメリカに帰りたいっと言っていた。僕は慌ててチケットを手配した。
それを妻に伝えると、今度はさらに怒り狂い、どうしてお前は止めないんだ!どうしてチケットを手配したんだ!っと怒り狂った。そして、僕は手配したチケットを慌ててキャンセルした。そのおかげで、約30万円のお金が吹っ飛んだ。お前のせいでお金が無駄になった。何をかんがえているのだっと怒り狂っていた。ふざけるなと思ったが、ぐっとこらえた。


ちなみに、付け加えるが、妻は怒り狂うと手が付けられない。言われた通りに対応せず妻に対して反対の意見を言うことは、妻の怒りを助長するだけになり、怒りのあまり呼吸ができなくなり、もっと状況が悪くなる。こういう場合は、どんなことであれ言われた通りに対応をしなければならない。言われた通りに対応しても結局は怒り狂うが、妻に反対することで発生するマグマの様な怒りよりはマシなのである。


僕は子供たちを心配しながら、一人アメリカへ帰国した。


帰国後は、妻からの言いがかりメッセージを毎日のように受け、Facetimeで子供達と話した後で妻のことを心配すると、不機嫌そうな妻が現れ、文句ばかり言われる毎日であった。それでも、妻と直接話しているわけではないので、いくらか気持ちが落ち着いていた。
同時に、妻の両親から何度も連絡があり、日本で会えるように手配をしてほしいと何度もお願いされた。


僕は、妻の両親に伝えた。


”この状況では、何を言っても通じない。妻が求めているのは、ただの同情であり、妻が間違っていても、ただ何も言わずそれを受け入れること。妻がわがままで悪いことは私もわかっているが、そうしなければもっと状況は悪くなる。妻はおそらくひどい暴言を吐くと思う。でも、耐えてただ共感し嘘をついてください。妻の間違いをただすのは落ち着いてからでもできます。”っと。


そして、
その原因は、妻が境界性パーソナリティー障害であるから
っと伝えた。


両親は僕のアドバイスに同意し、8月に再開した。
両親と再会した妻は予想通り喜び、今後は手のひらを返したように両親にべったりとなり、8月末の帰国まで、機嫌よく過ごしていた。


これ自体はとてもよかったのであるが、心のどこかで思うことがあった。


”境界性パーソナリティー障害の人は、敵と味方を常に作り続ける。今、両親という敵がいなくなった、これからは両親が味方となり、誰かが敵になるだろう。そうでなければ、日々の生活から生まれる、”思うようにならない事”のストレスを単純明快に片付けることができないから。要するに、何か不満があるときは必ず誰かのせいにすることで、自分の中で勝手に問題をかたずけているから。それができないとストレスがたまり怒りが爆発する。。。そして、それはきっと僕になるだろうっと思っていた。”


8月末に家族全員でアメリカへ帰ることになった。
帰国する日、妻は突然言った。帰ったら、まだこれまでのように喧嘩になり、私は耐えられなくなる。だからアメリカに帰るのが不安であると。だったら、このまま日本に残りたい。もう一度いうが、すべての原因は、お前だ。お前は、物事を忘れ、家のことを何もせず、家族のことをちゃんと見ていない、それらがすべての問題であり、お前は何も変わっていない。私たちは何もしていない。すべてはお前しだいなのだ。どう思っているのか?っと。


(追記するが僕は、どんなに仕事が忙しかろうが疲れていようが、家族を最優先している。家にいるときは、子供と接し、率先してかたずけを行い、正直家にいる時間は、一度もソファーに座ってゆっくりとしたことがない。妻はいつもソファーに横になり、携帯を見ながら、僕に顎で指図をしている。これをかければ、睨みつけ、何だ!っと言われる。だから、1つだけやっていないことがある。できるだけ妻とは接しないようにしている。話せば睨まれ、文句を言われ、そしてそれをきちんと聞き始めるとエスカレートして、何時間にもわたり、罵倒されるからだ。もう体が勝手に拒否をしているのを知っている。子供たちが寝た後は、いつも静かに布団に入り、泥の様に眠ってしまう。)


僕は言った。そうならないよう努力をするが、絶対大丈夫だとは約束できない。だた、今日の今いきなり言われても、子供たちの学校の事など現実的ではない。一度アメリカに帰ってから、もし日本へ帰国したいのであれば、きちんと計画してから帰るべき。こんな状態で対応したら、子供たちのためにならないっと。


妻は、なんとなく同意した。


そして一緒に帰国した。そして、地獄の生活が再び始まることになった。。。。。


その2につづく。。。。。